ビフォーアフター社長日記

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スターリィマンのアート壁紙 10月8日 SHIPの朝礼

おはようございます。10月8日SHIPの朝礼を始めます。

昨日、セミナールームにアート壁紙を施工しました。アート壁紙については下記を参照ください。
https://isaohasegawa.com/lp/art-wallpaper/
シップのお客様を通じて、この壁紙が広がっていくと良いなと思います。

以下、AIによるはせがわさんとスターリィマンの紹介です。

はせがわいさお氏が描く「スターリィマン」は、単なるキャラクターではなく、一人の画家の人生そのものから生まれた“愛と希望の象徴”です。1956年、福島県会津若松市に生まれた彼は、幼少期に埼玉県大宮市へ移り住み、「絵を描くことで自分の存在を認めてもらえた」という原体験を通じて、絵を生涯の言葉とする道を歩み始めました。日本大学芸術学部で学んだ後、広告や出版の世界でフリーランスのイラストレーターとして活動。学研のファンシーグッズや東京ディズニーランドの壁画などを手がけ、商業美術の世界で成功を収めました。その一方で、純粋芸術への探求も続け、二科展などでの入選を重ねます。明快に伝わる商業表現と、心の奥を描く芸術性。その二つの融合こそ、後のスターリィマン誕生の土壌となりました。

1987年11月5日。愛娘・祐希さんの3歳の誕生日に、父として描いた一枚の絵「ユキへのおくりもの」が、すべての始まりでした。娘の「好きなもの」を一つひとつ聞きながら描いたその絵には、風船を持つ優しい人が描かれていました。彼が“スターリィマン”――星のように輝く人――です。この作品は単なる贈り物ではなく、父の愛と芸術家の情熱がひとつになったものでした。その後、スターリィマンは「夢や希望を届ける旅人」として物語を持ち、9つの風船がそれぞれ希望・勇気・愛などの象徴として描かれるようになります。

妻の芳見さんが物語を紡ぎ、家族全員が参加する「コミュニケーションアート」として活動は広がりました。1997年の阪神淡路大震災を機に、はせがわ氏は「アートは人を癒やし、心をつなぐ力を持つ」と確信。以降、社会や地域に寄り添う芸術へと進化します。東日本大震災では被災地で400回以上の紙芝居ライブを開催し、子どもたちの心を励ましました。沖縄では文化遺産をテーマに作品を描き、首里城再建支援にも尽力。近年では地元大宮の氷川神社に原画を奉納し、地域との絆も深めています。

2024年、画業45周年記念展「夢の道を求めて」では、娘・祐希さんがプロデュースを務め、すべての始まりである「ユキへのおくりもの」が再び展示されました。父が娘に贈った絵が、今度は娘の手で父の功績を称える――それはまさに愛と創造の円環です。

スターリィマンは、誰かを想い、優しさを届けようとする心そのもの。はせがわいさお氏の歩みは、絵を通じて「人と人の心を結ぶ」ことを生涯貫いた、星のように輝く人生の物語です。

以上で朝礼を終わります。

4 コメント

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  1. おはようございます

    毎日自宅ではせがわさんの絵は毎日目にして、感謝をしています。

    今日、実物を見て「あーいいな。」と率直に思いました。
    個人的には秋の作品が、自分の故郷の風景とも重なり、安心・安らぎを感じます。
    はせがわさんのはじまりの物語があり、活動されてきたこともすべて今につながっている。だから心に響くのだと改めて思いました。

  2. おはようございます。
    去年頂いた作品集を拝見しておりましたが、本日セミナールームで直接壁紙を見て、安心したような、心が洗われたような気持ちになりました。毎日ディスプレイとにらめっこで、そういえば最近芸術に触れていないな、とも気づかされました。
    自分を犠牲にしてでも周りの人を助け、助けられた人たちの強い願いから再びよみがえったスターリィマン、感謝をするだけにとどまらず、世界中に「輝き」を届ける旅に出た彼に、尊敬の念がこみ上げてきます。先生の作品からあふれる、優しくもホッとする雰囲気に虜になってしまい、彼のように周りから慕われる存在になりたい、と強く思いました。

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