おはようございます。7月17日、SHIPの朝礼を始めます。「練習」はまだ続きます。
練習とは、単に上手になるための行為ではありません。
それまで「怖い」「難しい」「自分には無理だ」と思っていた世界を、自分の力で別の景色に変えていく行為です。
例えば、自転車に乗る練習を思い出してみてください。
まだ自転車に乗れないとき、周囲の人からは、いろいろなことを言われます。
「前を見て」
「力を抜いて」
「ペダルを止めないで」
「ハンドルを動かしすぎないで」
「少しスピードを出した方が安定するよ」
「転ぶことを怖がらないで」
言っていることは分かります。
しかし、乗れない人にとっては、どれも簡単にはできません。
前を見ろと言われても、転びそうなので足元を見てしまいます。
力を抜けと言われても、怖いのでハンドルを強く握ってしまいます。
ペダルをこげと言われても、転ばないようにすることで頭がいっぱいです。
少しスピードを出した方が安定すると言われても、速くなればなるほど怖く感じます。
練習中に見えているのは、道の先に広がる風景ではありません。
- 転んだときの痛み。
- 流れる汗。
- ふらつくハンドル。
- 自分を見ている人の視線。
- うまくできないことへの恥ずかしさ。
- 「また失敗するのではないか」という不安。
自転車に乗ることは、本来、移動するためのものです。
しかし、乗れない人にとっての自転車は、移動手段ではありません。恐怖や痛み、失敗を生み出すものに見えています。
ところが、何度も練習して、ある瞬間に乗れるようになると、すべてが変わります。
昨日まで必死に握っていたハンドルを、軽く持てるようになります。
足元ではなく、自然に前を見られるようになります。
ペダルをこぐこと、バランスを取ること、進む方向を決めることを、いちいち考えなくてもできるようになります。
そして、自転車に乗りながら、ようやく周囲の景色が見えるようになります。
- 風の気持ちよさ。
- 歩いていたときよりも速く流れていく街並み。
- 少し遠くまで行ける自由。
- 目的地まで自分の力で進める楽しさ。
乗れなかったときには見えなかった世界が、目の前に広がります。
自転車そのものが変わったわけではありません。
道が変わったわけでもありません。
変わったのは、自分です。
自分ができるようになったから、同じ自転車、同じ道、同じ風景が、まったく違うものに見えるようになったのです。
そして、いったん乗れるようになると、乗れなかった頃には戻れません。
久しぶりに乗ったとしても、最初からすべてをやり直す必要はありません。身体が乗り方を覚えています。
そのうち片手で運転したり、立ちこぎをしたり、後ろを確認したりできるようになります。さらに慣れれば、手放し運転を試す人さえ出てきます。
最初は、転ばないことだけで精いっぱいだったはずです。
それが、できるようになると、次の工夫や挑戦が始まります。
仕事の練習も同じ
これは、仕事の練習も同じです。
できないときには、指示されたことを守るだけで精いっぱいです。
失敗しないこと、注意されないこと、期限に遅れないことばかりが気になります。
お客様の表情を見る余裕もありません。
練習の先にある、仕事全体の目的を考える余裕もありません。
周囲が「もっと相手の立場で考えて」「先を読んで」「全体を見て」と言っても、本人にはその景色が見えていません。
しかし、基本的なことを練習する時間と機会を設け、できるようになると、少しずつ見える範囲が広がります。
- 作業の先にいるお客様が見える。
- この仕事が何につながるのかが見える。
- 相手が次に困りそうなことが見える。
- 自分のやり方を改善する余地が見える。
- 他の人との違いや、上手な人の工夫が見える。
できるようになるとは、単に作業速度が上がることではありません。
見えるものが変わることです。
考えられることが増えることです。
選べる行動が増えることです。
そして、次の挑戦に進めるようになることです。
できない状態のまま、できる人が見ている景色を想像することは難しいものです。
だからこそ、まず練習するしかありません。
怖くても、恥ずかしくても、うまくいかなくても、何度も繰り返す。
昨日できなかったことが、今日は少しできる。
今日意識していたことが、やがて無意識にできる。
その積み重ねの先に、それまで見えなかった景色があります。
練習によって手に入るのは、技術だけではありません。
新しい視点、新しい自由、そして新しい未来です。
以上で朝礼を終わります。
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