ビフォーアフター社長日記

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別府で学ぶ商売の真髄


風が吹けば桶屋が儲かるではないですが、映画鬼滅の刃の大ヒットで別府の八幡竈門神社がおお賑わいです。主人公竈門炭治郎の苗字が神社名に使われている事と神社内の随所に鬼にまつわる様々な伝説があり、鬼滅の刃の聖地めぐりのひとつになっているからです。これから別府観光の定番のひとつになるに違いありません。

 

別府観光が初めての人のほとんどが訪れる「地獄」は、地熱により地中から押し出されたエネルギーが織りなす異形です。坊主の頭のように湧き出す泥の塊が点在するところは「坊主地獄」、海のように真っ青な池は「海地獄」、血のような真っ赤な池は「血の池地獄」、また熱を利用して水温を冬でも30度に保った池に大量のワニを見物できるところもあり、驚きの連続です。しかし、これらの「地獄」は大正時代の初頭までは、作物も育たないばかりか、高熱の地獄に投身して自殺する人もいたりと、所有者や住民にとっては厄介者でした。しかし今では日本有数の観光地となっています。

何故こんなことが起こったんでしょう?

 
と徒然に考えてみました。

#正解ではないよ
#自分で考えてみよう


大正時代に入り、不便なあぜ道を通って見物人がちらほら見えるようになったそうです。商才のある人が地獄のある土地の買取りを所有者に申し出ると、所有者は喜んで土地を手放しました。このように厄介な土地を整備して観光地化していく人たちが現れました。その代表といえる人が別府駅目に銅像が立っている油屋熊八氏です。
豊富な湯量の湧き出る温泉地と世にも珍しい地獄見物をセットにして、大阪から別府港の定期船と汽船が接岸できる専用桟橋を整備し、大都市大阪からの人の流れを乗せる道を作りました。また「山は富士、海は瀬戸内、湯は別府」とキャッチフレーズを刻んだ標柱を、富士山頂をはじめ全国各地に立ててまわりました。また「別府温泉 亀の井ホテル建設予定地」の立て看板を、大分のみならず福岡・大阪・東京の人が集まる空き地に立てて別府を知らしめました。
ネットのない時代の最強コスパのアナログ広告の展開です。1927年大阪毎日新聞主催で「日本新八景」が公募された際には、葉書を別府市民に配って投票を呼びかけ、組織票により別府を首位に導きました。


1油屋熊八氏の業績は、日本中の人いや世界中の人まで含めて別府に行く理由を作ったとということです。ふるさと創生以来ここ30年くらいの役所主導の地方創生との違いは明らかです。

モノやサービスを作って、「お客が来ないな」「不景気だ」と言っているだけだと、お金はあっという間に尽きて事業体は無くなってしまいます。モノやサービスが良いのであれば、それが生み出すお客様のメリットを明らかにして、認知されるキャッチフレーズをつけて、知ってもらって、お客様に自社まで「行く理由」。自社商品・サービスを「買う理由」を作り、そのルートにお客様を誘導する必要があります。

GoToトラベルは来年のゴールデンウィークあたりまで延長されるようです。鬼滅の刃聖地めぐり、日本一の温泉、地獄見物、油屋熊八氏の偉業の別府を訪れるのも良いかと思います。


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